便利の極みであります。
アトリエのレッスンのあいまに、
「子供に手がかからなくなったら、
ミラノに行きたい。まあ65歳になってからの
話ですがね。夢ですよ」なんて
生徒さんと話が弾んだせいもあって、
グーグルアースでミラノを鳥瞰図で楽しんだ。
エッセイ 「ポコアポコ ミラノ」執筆中は
良くやった検索だが、このところ
ご無沙汰となっていたので、楽しく遊んだ。
その後ミラの時代の師匠 龍村先生どうしておられるか
気にかかり、今度は人名検索
2003年すでにミラノで亡くなっていた。
享年61歳
検索結果は、遺作展だった。
龍村明先生
先生とは、1981年 私の身元引受人ミラノ伊藤忠の松下さんの
紹介だった。お宅に伺い、すぐ次の日から内弟子状態となった。
サンタアニエーゼ通りは、リッター宮殿そばのバールを
左に迂回した所からはじまる
エッセイの書き出しはこんな感じか。
レッスンは指導はまるっきりなし
「今日は、○○美術館であの作品を観に行け明日はあの教会で
ダビンチの作品」 ともかく観る事を徹底的に、眼力をつけた。
1年間 作品は描かなかった。
方向オンチの師匠の地図は難解で、良く道に迷った。
おかげで、すぐミラノ市内は地図なしで歩けるようになった。
先生の個展の手伝いをして画廊の女主人に気に入られ
1983年には、私の個展を開催できた。
その後ボローニャでも個展結果4回の個展を開催するに至った。
いろんなことがありました。
先生の父上は京都龍村織物の龍村平蔵氏であったこともあり
http://www.tatsumura.co.jp/shop/about/takemura_heizoh.html
徹底した武士道教育だった。
「目立つな、良く観ろ、打ち込むな、心 」
難しい事だらけだった。
1988年「お前もう日本に帰れ もっと東洋美術を勉強
してミラノに帰って来い」
その後私は韓国に渡り先生の指導にしたがい
水墨画と水彩画を学んだ。
その後1993年にミラノでお会いして、
独り立ちした。
たしか10年程前に、関西美容専門学校の生徒が
ミラノに行くので、先生の好きな塩昆布を
手土産にお宅まで持たせた。
生徒は先生の名刺を手紙代わりに私に届けてくれた。
「龍村明 元気!!」
ただそれだけの名刺だったが嬉しかったので
今もアトリエに額に入れて飾ってある。
それが最後
龍村先生 私は元気です!!
今日はワインと塩昆布で飲む
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